くるり「ロックンロール」
増殖するシンパシーについて
新劇場版エヴァQの予告版とポスターを見ました。
私がTVでエヴァを見たのはちょうど中2の時でした。
田舎だったので放送は東京の2年遅れでした。
遅れていなかったら多分私には理解しがたい内容だったと思います。
のめりこんだ
中二病、セカイ系という言葉はまだ私達は持ちえなかった。
ただ10代の死にたい病は昔から存在していて、
そこに上手い具合にはまりこんだ作品だった。
そこに閉塞感があることを、
閉塞感を表現する方法を、
私達は彼らを通して客観視し、表現を得たのだった。
人型の使徒は人間に好奇心で近付く。
あれはBLではなかった。
少年と人を知らない使徒の、曖昧で不器用な接近だった。
ポスターを見る。
破の最後の使徒の台詞。
もう関係性は違っている。
あの出会いは、もうないだろう。
90年代
あの頃
ナローバンドだったネットワークは
(※書くべき言葉を喪失しました)
(後でまた書きます)
(集中力が切れた)
→続き書いた(2/3)
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