宮城県民ではありますが
この震災で1番大きかったのは、やはり津波被害で、
山沿いに住む私としてはあまり被害らしい被害を受けていないので
(電気は14日、水道は18日には復旧)
(1週間風呂に入らないと痒くなるということが判明した)
強いていえば、
宮城南部だったので、
原発80km圏内だったことくらいだけど、
それだってどうしようもない、というか、
家の被害もないのに、
ガソリンも手に入らないのに、
どこへ行こうなんて
考えもつかないよ 苦笑
米軍撤退のニュースだか新聞見た後にあれ、と思って地図を見て
80km圏内です本当にありがとうございましたwwwwwww
って言うくらいには笑ったけどな
そんなわけで津波被害とかは伝聞でしか知らないけど
写真とかやはり生の体験談はものすごい壮絶だった
友人の家は1階が浸水し
隣室にあったはずの小型冷蔵庫が居間に入り込んでいたり
庭に人が流れてきたりしたらしい
たまたまあの時、海の近くで仕事してた親は
人の乗ったまま水没した車を何台も見て帰ってきた
幸い私の直接の家族親戚友人知人は無事だったので
哀しみ苦しみは私にも直接のところはわからない
でも一つ間違えたらと思うと本当に人の生き死にはわからないなと思う
被害がなくても物流が止まった影響で
灯油を入手できず寒さで亡くなったお年寄りもいた
医療さえ十分でなくて福祉は完全に後回しだった
っていうか看護師さんすらガソリンが入手できずに四苦八苦してたからな
twitterで関東の人へガソリンを奪わないでくださいと呟いたら
こっちだってガソリンが手に入らないんだとお叱りを受けたこともあった
山手線の間引き運転のニュースを見ながら
1時間に2本あった電車、その代行バスが1日2本の状態なのにな、と思った
そんで4月に電車も新幹線も復旧したので
前に詩で書いたけど
2011年のGWに東京へ行った。
ホテルの被災者割引プランがあったので、使わせてもらった。
まあ単純に遊びに行ったのだけど。
GWのビジネス街も、霞ヶ関も人気はなかった。
田舎より人が居なくて、ただ大きな建物だけが聳え立っていた。
数人が降りた霞ヶ関駅には、電気広告が空しく光っていた。
人の暮らさぬこの街を動かすために
原発が、と思うとなんとも言えずやり切れなかった。
渋谷に池袋、お台場はすごい人だったけど―
苛立ちと寂しさと違和感を抱えて
ホテルの浴槽にいっぱいお湯を溜めて入ってやった。
その時まだ地元は下水が溢れる危険があって
節水を呼びかけていたから、シャワーばかりで済ませていた。
友達と会えたのも買い物も最高に楽しかったけど、
あのがらんどうのビル街が、やたらと未だに記憶に残っている。